2005年12月16日

プーシキン美術館展

この間の日曜日、上野の東京都美術館で行われている「プーシキン美術館展」に行ってきました。
この日は、曇天の空で明らかにお出かけ日和では無かった。
でも行って来た。そこには私の周到な計算があったのです。

寒い+空も怪しい=絶対空いてる!

と言う事で、12時ごろに美術館に到着。
入ってみると・・・混んでるw
でも、絵はちゃんと観れるからOK!
お目当ては、マティスの「金魚」。40年ぶりの日本公開だそうですよ。
私にとっては、本邦初。一応、念のため。
一応、順路通りにズンズン進む。絵もパッパッパと見るような感じで途中いくつか立ち止まり食い入るように見つめる。
モネ・マネ・セザンヌ・ゴッホ・ピカソ・ルノワールは、さすがに人気者と言った感じで人がたかってます。しかも絵の前を中々どかない。
オッサン・オバチャンのつむじを眺めたり、「ギャージンの背中は大きいなぁ〜」と眺める時間が多かった気がする(苦笑)
有名人達の絵は、さすが有名人って感じの絵でした。モネの「白い睡蓮」以外は、別に欲しくないけど(そもそも買えるわけ無いんだが。。)
マティスの「金魚」は、想像よりもデカかった。
しかも、面白い!でも、あんまり欲しいとは思わなかった。

今回の展示中、私の中でビビッと来たのはカリエールの「母の接吻」。
「カリエールの霧」と称される、背景をぼかし人物を浮き上がらせる叙情的な特徴ある絵。
欲しい。。。メチャ欲しい!!
クリスマスだし、誰か買って!(笑)
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2005年11月07日

色々、考える。深く。だって・・・秋なんだもぉ〜ん♪ Part2

【貨幣】
貨幣(かへい)とは、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保存」の機能を持ったモノである。本来貨幣とは本位貨幣(本位金、銀貨)を指す言葉であったが、現在では狭義には、補助貨幣としての硬貨を指し、広義には紙幣及び銀行券を含む通貨(=お金)の意味がある。

貨幣の重要な機能として、次の3つが挙げられる。 これらの機能は資本主義経済の成立において極めて本質的な役割を果たしている。
・価値の尺度
貨幣はモノの価値を客観的に表す尺度となる。これによって異なるモノの価値を比較することができる。例えば、本20冊と牛1頭といった比較が客観的に可能になる。
・交換の媒介
貨幣を介さない物々交換の経済においては、取引が成立する条件として、相手が自分の欲しいモノを持っていることと同時に、自分が相手の欲しいモノを持っていることが必要である。これに対し、貨幣を介する社会では、共通価値である貨幣を介すことにより取引をスムーズに行うことができる。
・価値の保存・蓄積 モノの価値を貨幣に変換することで長期的に保存することができる。例えば、「大根1本の価値」は大根が腐敗すれば消滅するが、貨幣に換えておけば保存・蓄積できる。< ウィキペディア(Wikipedia)>

3つの条件を満たせば貨幣として成りえるのか?

例えば紙幣を精巧に手書きでコピーし、自分のサインを書き入れる。ただしコピーは偽物と判別しやすいように片面だけで、もう片面は白紙にしておく。その作品を持って高級レストランへ食事に出掛ける。支払いはもちろん手書きの紙幣。これを受け取って、等価の支払いと見做すか否かは、受け取る側の理解と寛容次第。
この場合ネックになるのは、“価値の尺度”と“交換の媒介”に成る。
でも、受け取る側がこの2つを理解し了承すれば取引として(経済活動として)成立するんではないかい?
ウィキペディアの文章を見ると本来の貨幣とは本位貨幣(金貨や銀貨)と書かれている。
という事は、国が創作している紙幣と個人創作の紙幣との違いは何だ?
例えば私がお手製の紙幣を持って、六本木ヒルズで思う存分飲み食い&買い物しまくったと(店側も喜んでお手製の紙幣を受け取ったと仮定)して、私は罪に問われるのでしょうか?

何で今回こんな事を考えたのか?は、気が向いた時・・・冬になる前には、書きます(笑)
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2005年09月13日

芸術を感じて来た♪

この間の日曜日(9/11)に東京ビックサイトで行われたGEISAI(ゲイサイ)と言うイベントに行って来ました。
ゲイ祭・・・ふぉぉ〜〜!!とレイザーラモンHGが一杯いる祭りではなく。
芸術祭・・・つーか、美大系の文化祭的なノリのイベントで村上隆氏が主催者の1人として名を連ねているイベントです。しかも#8なんだそうです。

14時過ぎに国際展示場駅に着いたのですが、豪雨&雷 Σ(・д・ノ)ノ シェー!
速攻駅でビニール傘買いましたw
もう、本当すごい雨で床下浸水するんじゃないのか?って位の勢いでした。
日本は、間違いなく亜熱帯化してるな(私個人の説ですが)

数年前までデザインフェスタと言うのには、良く行っていたのですが出展者のレベルダウンが凄まじく、ここ数年は、そう言ったイベントを覗く事に御無沙汰していましたが、会社内で異動にになり中途半端に暇になったので半信半疑でしかも全く期待せずに覗いて来ました。いや〜行って良かった♪
デザインフェスタが、中高生レベルならGEISAIは大学生・社会人部門って感じでした。
年齢ではなく、作品レベルがね。出展者の年齢の事を言えば、小学生っぽい子もいたし。

作る事が好きなんっす!表現する事が好きなんっす!!と言う感じがとても良くて出ていて好感持てました。

出展者の中には、プロもしくはセミプロとして活躍されているんだろうなと推察される方もいて、作品自体商売っけムンムンの物もありましたが、面白い!今後に期待!!って言う作品も沢山有って本当面白かったです。

商業(職業)デザイナーを目指している人、あくまで自分本位(悪い意味では無く)を貫く人と言う両極の作品を一度に見れるのは、スゴク興味深いし、今ではGEISAIだけなのかも知れませんね。

それぞれの出展ブースでは物販もされているのですが、売られている物の8割以上は、ポストカードでした。クリエイターのくせに発想が安易だなぁ〜アッハッハ。
私が欲しい!と思ったのは、ポストカードよりもそのポストカードの元になったデッカイ原画だったりするのですが、残念ながら我が家には飾るスペースも無いので交渉すらしませんでした。交渉したら売ってくれたのかしら??

あと気に成ったのは、日本には彫刻家志望の人って少ないのか?って事でした。
住宅事情も関係しているのか知りませんが、圧倒的に絵画orイラストの展示と言うのがチョッピリ悲しかったです。
私は、リスクを伴わない作品は芸術とは認めない性質なので、購買意欲がそそられないんですよね。否、絵画でもイラストでも良いんです。30号未満は絵として(作品として)認めない(?)私としては、デカさこそが作者の力量を示し、作品に対するリスク(心意気)と感じる入るのです!(力説)

と言うわけで、将来芸術家を志す若人達に告ぐ!
しょぼい計算なんかせず、自分の主義・趣向・やりたい事を貫き通しなさい!!
計算の立った、しょぼい作品なんか笑いすら取れませんよw
posted by one-brain at 00:29| Comment(2) | TrackBack(0) | ART/CRAFT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月19日

Picasso(ピカソ)

ピカソと言えば、代表作 『アヴィ二ョンの娘たち』 『ゲルニカ』とか『347シリーズ』等、知っている人は、勿論知っていし、知らない人も名前くらいは、聞いた事があるであろう20世紀を代表する画家であり大芸術家。
決して、ドン・キホーテの小規模展開型姉妹店のピカソの事では無い。当たり前か。

「私は幼くしてラファエロのように描けた」 by ピカソ
おぉ〜そうですかい、んじゃ見せて貰おうじゃないか♪
1881年10月25日スペインのマラガで生まれた、寿限無(じゅげむ)の様に長い洗礼名を持つ一丁前の面構えをした男の子は天才なのか?因みにその洗礼名は・・・
パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ。 
覚えられるかぁ〜 (ノ ゚Д゚)ノ ==== ┻━━┻
・・・と言う事で略してパブロ・ピカソ。
子供時代のハ真.jpg
左の生意気そうなのがピカソ。右にいるのは妹、ローラ。

早速見てみようじゃないか。

9歳児の絵.jpg
<ヘラクレス>1890年11月(マラガ)

んがぁ〜!上手い!!9歳児がこんな絵を描いて良いのか?
30半ば過ぎの私よりも上手いし(苦笑)
ポーズの捉え方も良いし、体の線のつじつまも合っていています。
しかし、上手いなぁ〜。クッソォ〜。
なんでも、ピカソは10歳で美術学校に入ったそうで、11〜12歳の頃に描かれたのが下の絵

10〜12歳頃の絵.jpg
<石膏トルソの習作(ベルヴェデーレのトルソ)>
1892年〜93年(ラ・コルーニャ)

良いのか?小学校5〜6年生がこんなん描いて(笑)
平均的な美大生レベルに早くも達しております。正確に描く事は出来るんだけど、面白くないってやつね。
そして、この時期にある伝説が生まれました。
みるみる成長を遂げるピカソの才能に驚嘆した美術教師である父が、自分の画材道具を一切息子に譲り渡し、以後、筆を折ってしまったと言う有名な逸話。
実際は、いささか誇張されて伝わっている逸話なんだそうですが。。

ここで、チョイ脱線。
本来スペイン人は、母方、父方の姓を続けて読むのが通常なのでパブロ・ルイス・ピカソと言う風に名乗る(絵に署名する)はずなのですが、母方の姓(ピカソ)のみ名乗っているのは、何とも・・・何ともですねぇ〜(ニヤリ)
父方の姓(ルイス)を名乗らなくなった(絵に署名しなくなった)のは、20歳前後なんだそうです。この事に付いてピカソ自身は色々と言っているようですが、父親とのある種の確執があったのかも!と妄想する方が私的には盛り上がるのでここではあまり突っ込みません(笑)

閑話休題。この後、飛び級でバルセロナの上級美術学校に入学したピカソが描いた絵が下の絵。

13〜14歳頃の絵.jpg
(石膏像の習作)1895年(バルセロナ) 

中学1〜2年生でこんなん描いてますヨ!奥さん ヒソヒソ( ゚д゚)ヤダァ(゚д゚ )ネェ。
最早追い付けません・・・追いかけてないけど(笑)
石膏像なのに何か血が通っていそうな感じです。いやいや、もぅ〜やってらんねーな。やってもいないんだが(笑)

石膏像のデッサンしまくった後の次のステップは、人体デッサン。ピカソは成績優秀だったので、成人にしか許されていない人体デッサンのクラスを受けることが出来たんだそうです。
そして、その時描いたのが下の絵。

15歳頃の絵.jpg 15歳の頃の絵部分.jpg
(裸体の写生習作)1896年(バルセロナ)
<左は全体 右は部分>

初め見たときは、写真かと思いましたよ。何ですか?このくたびれきった中年男は(笑)
『はぁ〜、やってらんね!』と言う溜め息が聞こえてきそうじゃないですか。

ピカソって模写を初めとする自己鍛錬をすごくした人らしいですね。
自ら『デッサン工場』と呼んじゃうくらいに。
ピカソの天才伝説ってのは色々あるらしく、ピカソ自らも自己神格化の言説を得意としていて、『天才の俺様は〜〜』的な発言が多かったようなんですが、
ある時、ピカソにしては珍しくこんな事を言ったそうです。
『音楽家に神童はいるが、画家にはありえない。』
『どんなに面白い絵を子供が描いたとしても、それは芸術作品では無い。芸術を生む為にはアカデミックな修練を経なければならないのであって、自分はそれを克服するのが非常に早かった』
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2005年07月07日

イギリス人ってスゲェ〜な

ハリネズミ.jpg
ピューターの作品をWebで色々と検索していた所
猫グッズ猫雑貨の通販かちねこドットコムさんのサイトに残っていたキャッシュ(?)で、
この様な置物を偶然見つけました。画像はその内の一つをアップした物です。素材は主に合成樹脂のようです。
部分的に、ブロンズやピューター・メタルを使っているみたいですね。
もうメチャ欲しい!残念ながら現在は、売られていないようなので
Bowbrook Studio(ボーブロック・スタジオ)社のホームページを覗いて見ました。
うわぁ〜一杯いる♪
ん〜片端から大人買いをしたくなる衝動がw
ただ一つにして重大問題は、私には英語力が無いこと^^;;
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2005年07月04日

バチカン衛兵とミケランジェロ

 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(84)が2日午後9時37分(日本時間3日午前4時37分)、バチカンの法王宮殿で死去した。
そしてローマ法王庁は6日、法王ヨハネ・パウロ2世の死去にともなう次期法王の選出会議(コンクラーベ)を18日に開始すると発表した。コンクラーベの結果ローマ法王庁(バチカン)は19日午後6時(日本時間20日午前1時)前、ヨハネ・パウロ2世の死去に伴う法王選出会議(コンクラーベ)で、ドイツ出身のヨーゼフ・ラツィンガー枢機卿(78)を第265代法王に選出した。新法王はベネディクト16世となった。
 実は、法王に付いては、興味すら持っていなかったりするので、法王に付いて詳しく知りたい方は、Googleで『ローマ法王』と打って検索する事をお勧めします。50万件近くヒットする人気テーマの様なので良いエントリーを発見出来る可能性が高いと思われます。

 ・・・と、言い訳を一通り言った事だしっと、今回のテーマは!
 『 バチカン衛兵 』
バチカン衛兵.jpg
<<画像をクリックすると大きく表示されます>>


 バチカン市国は、イタリア、ローマ市の中に位置する国。国際的な承認を受けている独立国家としては面積・人口ともに世界最小であり、通称はバチカンで、ヴァティカンとも表記される。都市国家であるため首都はない。
 バチカン市国の国民は法王と法王のもとで働く聖職者、行政官、教皇庁職員、スイス人衛兵で市民権は勅許によって与えられる。
 そんな訳でバチカン生まれの国民はいませんし、血統や出生地主義による国籍の取得は認められないため、例えば領土であるサンピエトロ広場で産み落とされた父母不明の子は、隣国イタリアの国籍を取得するのだそうです。
国民は全て世界各国から集まり、役職を離れればもとの国籍に戻ります。
 基本的に軍事力を持た無ず、スイス人衛兵(傭兵)がいる。警察力は、市国警備がいるもののローマ市警察に依存している摩訶不思議な国。

 バチカンの衛兵は、実はスイス人に限らないのですが、スイス人傭兵は宮殿の入り口とかの 警護に当っています。スイス人衛兵になる条件として未婚(=童貞。チェリーですよ。良かったですねぇ〜、お姉さま方^^)の
スイス国籍(当たり前か)の男性で身長が175センチ以上、カトリック信徒であること等が条件で、下士官に昇任すると婚姻が許可される。

 何でスイス人なんだ?って事ですが、ルネサンス時までに遡ります。

 綱紀粛正を試みる一方、教皇領拡大のために戦場を奔走し、芸術家を保護してローマをルネサンス文化の中心とした、典型的なルネサンス教皇であるユリウス2世。武将、政治家として特に傑出していた。
 ミケランジェロ、ラファエロ、ブラマンテらを抱えてサン・ピエトロ大聖堂の改築を軸にローマを最大の芸術の都とし、新しい聖歌隊カペラ・ジュリア(ユリウス聖歌隊)も組織した人です。

 スイス人傭兵は優秀で昔から色々な国で雇われていたそうです。ルネサンスの頃には腕時計もまだなかったし、銀行業はイタリア人の十八番だったし、山が多く農業もままならないから、農家の次男坊・三男坊は昔から傭兵になるものが多かったのである。これといった産業もないスイスにとって外貨獲得の手段はもっぱら戦争請負業だった。それどころか、この方面ではスイス軍といえば傭兵としてその強さは折り紙つきだった。
戦争や喧嘩の大好きだった強面のユリウス2世等も、スイス傭兵を味方につけたいが為に、これの取りまとめをしてくれるスイス人の実力者には、領土をくれてやるわ、枢機卿にしてやるわと、おおいにサービスに努めたらしい。そして教皇軍の近衛兵として
創設されたのである。

 また、衛兵としてスイス傭兵の地位を確固たる物とした出来事として、ローマ劫掠上げられます。
 ローマ劫掠と言うのは、1527年5月、神聖ローマ帝国の軍がイタリアに侵攻し教皇庁のあるローマで殺戮、破壊、強奪、強姦などの非道を行った事件です。

 1527年5月6日、ローマで皇帝軍と教皇軍の衝突が始まるが、教皇はサンタンジェロ城に逃げ込み、教皇軍は敗北。市民らは皇帝軍の略奪に対して、なすすべもなかった。6月に教皇は降伏した。
 プロテスタントの軍隊がローマを荒らした際に命を賭けて法王を守ったのがスイス傭兵だったことが 今でもスイス人を傭兵に招く主な理由なんだと言われています。

 因みに今もフランス外人部隊はドイツ人と並んでスイス人が多いそうです。

 さて、何故今回、私はバチカン衛兵をテーマに上げたのか。
 掲載しているバチカンの衛兵の制服はミケランジェロのデザインなんだぜ!と言うお話でした。
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2005年06月29日

Harmony Kingdom その2

ハーモニーキングダムの写真をまたアップしてみました。
前回の写真は、説明不足過ぎる気がしたので、こんなに、凝った作りしてるんですぜ!旦那♪
と言う感じが伝わらないと思ったので、今日は、大盤振る舞いで3点アップして見ました(笑)

今回アップしたのは“Ed's Safari U”(サファリ)と言う作品です。
このサファリシリーズは、T〜Vまであります。
私はT・Vは未だ持っていなく是非欲しいのですが、どうも製造中止になったらしく、手に入れるのは難しそうです。
販売しているお店を知っている方がいましたら、是非御一報下さい♪

 前からの見た目
サファリ front.jpg
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 後ろからの見た目
サファリ back.jpg
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 蓋を取ると・・・人間縛られちゃってます(笑)
サファリ in.jpg
<<画像をクリックすると大きく表示されます>>


いや〜見れば見る程に良い仕事してます♪(笑)
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2005年06月22日

いかした表札

先日、と言っても随分前の事ですが、
近所を散歩中に1軒の家の表札に思わず目を奪われちゃいました。
それがこの写真。
表札.jpg
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4人の家族で建てました感が出ていてとっても良いです♪
我が家!って感じがしません?
この表札を見て、ちょっと格好良いな♪と思った。

【名前等は、モザイク加工して隠しました。】
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写真集

オリヴィエーロ・トスカーニ(Oliviero Toscani)と言う広告ディレクターが編集主幹を務めるCOLORS(カラーズ)と言う雑誌にやたら、はまっていた時期がありました。

彼は広告を通じてエイズや人種差別、戦争への鋭い批評性を持ったメッセージを発し、
世界中で賛否を巻き起こした中々ユニークな視点をもった人です。
一時期ベネトンの広告に携わっていたので多分、その時の作品を見れば『あぁ〜見たことある』と思うのじゃ無いでしょうか。
クロ箱と言うサイトに彼の作品が載っているので、興味のある方は見てみて下さい♪

初めて見たCOLORSは、動物や人の死体写真のオンパレードだったんですが、あれは、かなり衝撃的でした。死体をあからさまに写真に撮るなんてのは、まだタブーと言う風潮があった時だったし。。

彼の提示する写真は、なんと言うか・・・一言で言うと芸術的なんです。
単なるオドロオドロシイ写真ならネットを彷徨えば、その手のUGサイトで見れるます。
でも、彼の作品は被写体への尊厳を感じさせ、労り、被写体からのメッセージが強く出ている感じがするんです。
写真って撮り方によっては、とても力のあるメッセージを出す事が出来るものなんだなと、つくづく思いました。
それまでは、写真を見ても何となく構図が面白いとか色が綺麗って言う薄い感動しかなかったのに、これらの作品を見てからその時撮った撮影者へ妄想や、アートディレクターの目指している物を勝手に妄想する楽しみに目覚めたんですよ。
制作者の意図や制作された状況と必ずしも一致する物では無い妄想であったとしても、
提示された作品に対する評価や解釈は、見たい人次第の物なので勝手にいつも楽しんでます。

そのトスカーニが監修した写真集を先日手に入れました。
『Cacas』定価は6800円也(手に入れた金額は秘密♪)。
caca表紙.JPG
<<画像をクリックすると多き表示されます>>

Caca(カッカ)とは、イタリア語やフランス語でウンチの事です。
調べて見るとフランス語ではmerdeがウンチで、cacaは赤ちゃん言葉として、子供や犬猫に対して使うらしいです。
と言うことで、σ(・・*)が購入した本は、動物のウンチの写真集(人間も含む)なのです(笑)

この写真集は一見の価値ありですよ♪
主食の違い、体の大きさの違いから同じウンチと言いながら、様々な形があるもんなんだと感心してしまいます。
写真自体が何だか標本の様に撮られているんです。ウンチのくせに全然不潔感が無いのが何とも不思議です(笑)

ここにチョット見難いですが、アップしておきますね。
た〜んと召し上がれ♪(笑)
caca中身.jpg
<<クリックすると、やや大きく表示されます>>


<6/22 明け方に編集>
posted by one-brain at 00:34| Comment(3) | TrackBack(0) | ART/CRAFT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月18日

絵を盗まず置いていく犯罪

今年の3月のニュースネタで、且つ、私の別ブログに載せていたのですが、
面白いので、コチラでもアップ♪

パロディー.jpg
<<画像をクリックすると大きく表示されます>>


こう言うイタズラって何か好きです♪
有名美術館に自分の絵をこっそり置き逃げ犯の手口ときっかけ

[ニューヨーク 24日 ロイター] ニューヨークの近代美術館に訪れて、「これなら自分にもできる」と感じた人は少なくないかもしれない。英国人グラフィティ・アーティストの通称「バンクシー」は、それを本当にやってしまった。

バンクシーはアンディ・ウォーホールの代表作品であるスープ缶の作品のパロディを描き、こっそりと持ち込んで壁にかけたが、3日間もの間、誰にも気が付かれなかったという。このいたずらは、ニューヨークの4つの有名美術館で計画的に行われたもののひとつである。ウォーホールのパロディ作品には、キャンベル・ブランドのかわりに、量販ディスカウントショップTESCOのロゴが描かれている。

最も大きな作品は、縦61センチ、横46センチの植民地時代の海軍提督の肖像画で、ブルックリン美術館に持ち込まれた。この絵では提督にスプレー缶を持たせ、背景に戦争反対のグラフィティ(落書き)が描かれている。

他にメトロポリタン美術館とアメリカ自然史美術館がいたずらの対象になった。戦闘機のように加工しミサイルを携えたカブトムシの標本が、アメリカ自然史美術館に飾られたが、これはもうひとつの「戦争反対」のメッセージだとバンクシーはロイター通信に語っている。

またウェブサイトwww.woostercollective.comでは、作品の画像とともに、帽子を被り口ひげと付け鼻でクルーゾー警部のように変装して、いたずらを決行した時の様子を公開した(その画像はコチラ)。

英国に在住するバンクシーは電話インタビューで、いたずらは3月13日に決行され、友人に撮影してもらったことを明かした。「仲間に同性愛者が派手に口げんかをしているふりをしてもらって、周りの人の気をそらしている隙に、作品を壁にかけた」と述べている。

バンクシーがいたずらをしたのはNYが初めてではない。昨年は、パリのルーブル博物館とロンドンのテート・ギャラリーに作品を持ち込んだ事件がマスコミで話題になった。

バンクシーはいたずらのきっかけになったエピソードを明かした。

「実は、姉の行動がきっかけになったんだよね。ある日いきなり、姉がたくさんの僕の作品を捨てたんだ。なんでそんなことをするんだって聞いたら『こんな絵、ルーブル美術館のような立派な美術館で展示されるような絵じゃないわ。無駄よ』って言ったんだ。それがきっかけになったんだよ」と語る。

バンクシーは、元々グラフィティ・アーティストで列車などにグラフィティを描いていたが、最近ではセキュリティがどんどんと厳しくなり、創作の場を失いつつあった。そこで、美術館にも表現の場を広げたというわけだ。「防犯装置の性能がよくないから、やりやすいね」という。

アメリカ自然史美術館の警備係はノーコメントだ。近代美術館では、問題の作品は17日に撤去されたとだけ発表した。「これからは持ち物検査が厳しくなるんじゃないかな」とバンクシーは言う。

メトロポリタン美術館で展示したガスマスクをした女性の肖像画は1日で撤去されたが、他の作品は数日放置されたままだった。バンクシーの作品は、強力な接着剤で壁に固定されていた。

いたずらを決行したのは美術館が混雑する日曜日だったが、どうやって人ごみを切り抜けたかという問いには「美術館は確かに混んでいたけど、つまんない絵が飾ってある場所なら人も少ないから平気さ」と答えた。


ニューヨークの超有名美術館での犯行(?)の模様
いたずら現場.jpg
<<画像をクリックすると 多少 大きく表示されます>>

画像が微妙にちっちゃいw
大きいもので見たい方は、上記のコチラを踏んで下され(笑)
※Wednesday, March 23, 2005にあります。
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2005年06月17日

Harmony Kingdom(ハーモニーキングダム)

私は小金が貯まるとHarmony Kingdom(ハーモニーキングダム)社製の小物入れをコツコツ買い集めていまして、今日は、そのネタ。

Rumble Seat.jpg
<<画像をクリックすると大きく表示されます>>


画像を見てもらえれば分かるとおり中々凝った作りをしてるでしょ?(笑)
写真の物はTreasure Jests(トレジャージェスト)シリーズの1つで、“Rumble Seat”と言う作品です。大きさは、W5cm×D5cm×H8cm位で座面に寝ているネコの所が蓋になっています。
商品のジャンルとしては、小物入れと言うことなんですが、一体何入れるネン!とツッコミを入れたくなる位スペースは有りません(笑)

色合いが何とも味わい深く、どこか日本の根付に似ていている感じも好きなんです。
実際、根付の影響も受けているみたいなんですけどね。

ハーモニーキングダムはイギリスの西部にあるチャリフォードと言う村にある工房(会社)でチーフデザイナーのマーティン・ペリーとマスター彫刻家のピーター・カルブルスをはじめ数人の職人によって作られているものです。
製作工程は、マーティン・ペリーがカラーのデザイン画を描きます。それを元にピーター・カルブルスが粘土で彫刻のオリジナルを作り、シリコンで雛形を取った後、マーブルストーン(大理石)の粉とレジン(一種の樹脂・大理石を固める為に用いる)を混ぜた材料を雛形に押し込みます。固めた後は、専門の職人が色付けをしヤスリがけをして仕上げます。
〜動物紳士の社交録(京都書院アーツコレクション)から抜粋〜


私が興味を持ち始めた頃から、日本では中々手には入り難く、今は輸入販売している所からネットで買っています。また、最近はYahooオークションでもたまに見かけますが、何だかディズニー・シリーズやナイトメア・ビフォア・クリスマス・シリーズが大半で、私の欲しい本来の作品(動物や花をテーマにしたもの)をほとんど見かけません(泣)
ハーモニーキングダムの作品の特徴であるイギリス人特有のウィットに富んだ作品が好きなのにぃ〜!英語が出来ればe−bayでバシバシ買いたいところなんですけどねぇ。
誰か私の通訳に成って貰えませんか?(笑)
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2005年06月12日

こうさぎ背景変更

こうさぎの背景を変えたので、その絵の説明をば。
背景は、画像を無理やり、思いっきり反則技である比率無視の縮尺にしたので、
記事の画像が正解。

oil paint on board Mystery.jpg

アウトサイダーのEugene Von Bruenchenhein(ユージン・ヴォン・ブルチェンハイン)の“Mystery"と言う作品。木板に油彩で描かれているそうです。

アウトサイダーと呼ばれる人は社会的に恵まれていなかったり、難病の経験があったり、体の一部を失っていたりする。また精神病患者であったりする事も多い人達だそうです。
そしてアウトサイダーアートと言うのは、美術の歴史や伝統もほとんど知らず、専門の訓練も受けていない極めて個人的な創作活動に没頭する人達の作品群の事です。
だからこう言ったアウトサイダーの作品が発見されるのは、死後の事が多いようですね。
実際ユージンも彼が40年に渡って作り続けた夥しい数の作品が発見されたのは、彼の死後だったそうです。

一時期、アウトサイダーアートが日本で流行った時期があり私も大いにはまったのですが、
日本で知名度が高いのは、理想宮を一人で作った郵便配達夫のFerdinand Cheval(フェルディナン・シュバル)とか、非現実の王国(もしくはペニスを持つ少女達の戦い)を書いたHery J. Darger(ヘンリー・J・ターガー)等で、ユージンは今一知名度低いのが悔しい(笑)
海外のサイトに行けば、彼の作品を拝めるので暇な方は、Googleで検索されることをお勧めします♪
ユージンの作品で有名なのは、鳥の骨で作った椅子や塔、油彩で描かれた水爆シリーズ。そして、彼の愛妻をピンナップ風に撮った写真です。すごく面白いんですよ。
もう、絶賛お勧め♪写真や絵は一部売られているようです。金額は$4,500〜$6,000。
誰か私にプレゼントしてください(笑)
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2005年05月25日

Pewter Metal(ピューター・メタル)

fire boomerang pewter.jpg
<<画像をクリックすると大きく表示されます>>


 年を取ると共に忙しさが増し、趣味に没頭する時間が無い今日この頃なのですが、昔から私は、絵を描く趣味は全く無いのにも関わらず、作り物(工作)は、どう言う訳か好きでした。
ただ、作る過程は好きなんだけど、完成しちゃうと興味無くなってしまい、欲しいと言ってくれた人にあげるか、捨てるか、壊すかしてた(笑)。
んで、20代後半に成って作り物が好きだと言っても完成品が手元にほとんど無いことに気付くとともに、前妻からも『写真ぐらい撮っておけば良いのに・・・ぷっ!』とか言われたので、気が向いた時に撮るようにしていた物があったので、せっかくブログっつ〜格好の晒し場もあるし、コッソリ晒して見るテスト。
(私の別ブログでは、すでに晒し済みだったりもするが・・・まぁ〜言わなきゃ分からないかw)

 素材は低融点金属のピューターメタルです。
 シルバーと同じような輝きを得られるのに、シルバーの様な黒ずみ等は、ほぼ無いと言う優れものなのです♪
 しかも、私が買った時は、1kgで3000円と言う低価格でしたヽ(´▽`)/
私が作ったアクセサリーは大体10g〜20gあれば事足りるので、数年前に買ったにも関わらず未だに余ってます(笑)

 融点も250℃前後とステンレスや鉄の鍋に入れて、ガスコンロで溶かせてしまうと言う使い勝手の良さ♪
 そう、失敗したり気にいらなければ速攻溶かして証拠隠滅が謀れると言う優れものなのです(笑)

 ピューターメタルは、本格的な金属を扱ったクラフトの予行演習には持って来いの 素材じゃないかなと思うので、かなり気に入ってます。
 柔らかい金属に入る銀でも融点が960℃もあるので、その扱いやすさが何となく分かると思います。(純銀粘土の方が扱いやすいジャン!と言うツッコミは無しの方向で^^;)

 因みに欠点は、融点が低いので傷が付きやすいと言う事ですかね。
 あとは、直火は厳禁!溶けます。

 最後に。。
 写真は、ドラクエX〜天空の花嫁〜の攻略本に載っていた、炎のブーメランを作りました。作った本人が、言うんだから間違いありません!(0 ̄^ ̄)0フン
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2005年05月03日

Chapter3 地獄太夫番外編(追記・雑感等)

野火止用水かぁ〜確か、久米川ボウルの側を流れていたよな。
 田園都市線、小田急線、中央線、西武新宿線沿線には住んだことあるけど、池袋線は、未知の世界だったりします。そう言えば石神井公園には昔バァ〜ちゃん住んでたな。バァーちゃん家に行く度にザリガニを釣りに行った事を今、思い出した♪

 未明さんの着物の写真は、中々センチメンタル画の物が多いですね。ちょっと夢二っぽくてとっても(o ̄∇ ̄)bグーです。
 前エントリーで書かれていた山口椿さんと親交があると言うのも個人的には興味深いですね。私の中では、いわゆる発禁本(あぁ〜古っ!)の画を書く人と認知されている人なのですが。。。
 困るなぁ〜、そんなに私へネタを振らないで下さい(笑)

 Chapter3 地獄太夫番外編(追記・雑感など等)

 一休については、Chapter1で後年の暴れっぷり(?)を少し書いたので、
ここでは、主に生まれたところから一休を名乗るまでを少し書きます。
掘り下げて見たところ、何やらウジャウジャ出てくるので本稿では端折りまくります(スマン)

可愛い顔した一休さんが
一休さん.jpg
<<画像をクリックすると大きく表示されます>>


どうすれば、ここまで汚くなるのか?もはやこれは、ミステリーです(笑)
一休.jpg
<<画像をクリックすると大きく表示されます>>
 

一休は、後小松帝(100代天皇)と伊予の局(藤氏<とうし>と言う藤原氏の流れの人)の子供で、友達は、さよちゃんと蛭川新右衛門さん(笑)
 アニメ 『 一休さん 』の伊予の局の声は、ルパンV世の峰不二子と言うのは、本稿において重要では無い(笑)

 一休さんは、まさに波乱万丈!生まれ方からしてスゴイ。
 1394(応永元)年、後小松帝の子を宿した伊予局は、南朝の娘ということで、御所を追われ、嵯峨野で男の子を産んだ。それが千菊丸(後の一休)。
 1399(応永6)年、伊予の局は、北朝の刃を逃れるため千菊丸(6歳)を、幕府の保護を与えられた五山十刹(叢林)の1つである名門安国寺(臨済宗)に入りました。そして名を周健と改めました。一休では無いのですね。

 叢林の僧たちは、学問で身を飾ろうとする貴族に近づいたり、高僧と交際することで自分の権威をつけようとする豪商の酒色のもてなしを平気で受けるなど、
堕落しきっていました。逆に、叢林以外の寺院は「林下」として軽視されていました。修行時代に、周健は、兄弟子の男色の相手もさせられています。
 1407(応永13)年、周健(13歳)は、そんな現実を嫌って五山の1つ建仁寺に移り慕哲について漢詩を学んだ。しかし、建仁寺でも堕落は同じで寺童の中には、
首まで白粉を塗って兄弟子の相手をする者がいる状態だった。
 周健(16)は、建仁寺の慕哲が武士の一行に頭を下げるのを見たりたり、修行僧が「自分は源氏の出である」「いや私は公家の出である」と自慢しあっているのを聞いて、
次の漢詩を作りました。「法を説き、禅を説いて、姓名を挙ぐ。人を辱しむるの一句…」
(仏門に入れば、だれも、釈迦の子なのに、自分の出自を自慢している。恥ずかしい)

一休さんが後に仏教の権骸化(伝統化・風化)に鉄槌を下すかのような、奇行・・・威や形、戒律や形式にとらわれず、人間臭さに満ちた生き方をして行くバックグラウンドを作って行った、ある意味大切な時期がこの時期だった言えます。

「一休」と名乗るのは、「宗純(そうじゅん)」をへて、24歳(数えで25)になった時です。
宗純は、純粋禅(住いも雨露をしのぐだけ、食べ物も托鉢によるだけの生活)の立場を堅持していた謙翁(為謙宗為宗易)に師事していたのだが、
 1414(応永21)年、謙翁の死に接した宗純(21歳)は、瀬田の唐橋から投身自殺を図ったりもしたそうです。
 因みに宋純と言う名は、謙翁から自分の名前宗易の一字を与えられたものです。
 この辺の深い師弟愛に付いては、色々と逸話がありそうで、かなり興味がもてます。詳しい人教えてください♪(* ^ー゚)b

 一休と言う名は、「洞山(とうざん)三頓(さんとん)の棒(ぼう)」という「無門漢(むもんかん)」という禅書の難しい公案(こうあん)(問題)を解いた時、
かそう禅師から、、一休さんが作った歌から名を取り、「一休」という法名を授かったという。
 その歌は琵琶法師の祇王・祇女姉妹と仏御前の平家物語の一節を聞きその心境を歌ったものです。
『うろじより むろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け』
(心の中のこだわりを捨て、一休みする、そうすると、からりとした心にうち戻る)と表現しましたのです。
 何とも粋じゃないですか(笑)

 地獄太夫に付いては、Chapter1以上の事は、今の所私には分かっていません。
 皆様の情報お待ちしてまぁ〜す♪(* ^ー゚)b

 Chapter2で紹介した<小林清親(1847年〜1915年)><小林永濯(1843年〜1890年)><久保田米僊(1852年〜1906年)>絵について、明治20年前後に制作されたものと書きました。<河鍋暁斎(1831年〜1889年)>の絵は制作年が良くわかりませんが恐らく他の人達と近い年代では無いかと勝手に思っています。
 ただ明治20年前後と言うのは、中々重要なポイントなんです。(これも勝手に思っているだけです)・・・と言うのは明治の20年前後の東京の根津の遊郭に、
往時の地獄太夫を気取り、似た様な趣向で客を持て成した遊女が実在したそうです。
 その名も幻太夫。
 横浜の遊郭から吉原、そして根津へ流れてきた強者で、「洗い髪を紫縮緬(ちりめん)で括って後ろへ下げ、白地に地獄変相図か
何かの凄い絵を書いた裲襠(りょうとうorうちかけ)をはおり、嫖客(ひょうきゃく)を煙に捲くと云う大変な女」だったと言う。(『浮世絵師』第14号)
 浮世絵師・芳年がぞっこん打ち込んで錦絵を描いたとか、あるいは三菱の岩崎弥太郎を脅して金を巻き上げたと言う噂もあった。
 この幻太夫の為に清親は、裲襠に骸骨の絵を描いてやったというのである。
 清親は、錦絵が良く売れたお礼にと、版元の大黒屋・松平平吉(通称・大平)に“当り振舞い”をして貰った。両国の料亭で御馳走になった後、
根津の遊郭に繰り出したのである。以下は、清親の談。
「或る部屋へ連れ込まれ、成る程驚いた、それがまぼろしの部屋でありました。・・・・・部屋には仏壇あり、仏像あり、襖の張付けは例の蓮の花で其身は
切下げ髪に輪袈裟というふ巫山戯た行粧で勤めをして居たのです。此部屋で再び大いに飲み上げたが、大平が頻りに画家扱ひにするので、ついに裲襠を
描いてやる約束が成り立ち、後日白無垢へ墨絵で描いたのは羅漢の像で世間で骸骨を描いた様にいふのは誤伝であります」(『浮世絵師』第16号)。
村松梢風『本朝画人伝』によれば、裲襠の他に清親は幻太夫の肖像も描いたと言う。

<小林永濯><久保田米僊><河鍋暁斎>が幻太夫と出会っているのかは、不明。

 ただ<小林清親>の3幅対の絵は、ひょっとしたら地獄太夫では無く幻太夫を描いた物なのかも。
さて真実は、何処にあるのでしょうね〜?  ふっふっふ( ̄ー+ ̄)キラリ

 地獄太夫については、正史に出て来たと言う確証が無い、と言う意見も頂戴していますし、私自身も地獄太夫と一休の絡み(エピソード)はチョット微妙だなと思う所はあります。
絵から判断しても室町時代の話が、なぜ明治期まで書かれていないのか?チョット首を傾げざるを得ないですね(ひょっとしてら、どこかに有るのかな?)。
 
 でも地獄太夫が本当にミステリアスで魅惑的な女性であると言う事は、誰もが認めるところでしょう。
 地獄太夫と一休、それぞれが不幸な境遇を経験し、それぞれの道から悟りの境地を開いたその2人が、境の遊郭で出会う・・・。
私は、一休との絡みがあってくれた方がロマンがあって良いと思います(その方が面白いし)。
 ・・・と言う事で、史実はともかく私のブログにおいては、地獄太夫は実在していたし、一休とは、歴史上 出会っていると言う事にしますので、
関係各位におかれましては、その旨 特段の御高配を賜りますよう お願い申し上げちゃいます♪ テヘッ♪

 おまけ。
 今日、月岡芳年の画を見つけたので、張り切ってアップ♪
六怪撰 地獄太夫悟道の図.jpg
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地獄太夫と一休 終わり。



;・;・;・; 目次 ;・;・;・;

Chapter1.地獄太夫と一休のエピソード
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Chapter2.地獄太夫の絵について
<<ここをクリックするとChapter2に行きます>>

posted by one-brain at 02:25| Comment(1) | TrackBack(0) | ART/CRAFT | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月30日

Chapter2.地獄太夫の絵について。

どうやら世間では、ゴールデンだぁ〜!ウィークだぁ〜!とイカレポンチな熱病に患った
人達で溢れ返っているそうです。
 羨ましい・・・あぁ〜羨ましいっ!(涙)

 私は、普通に働いております・・・と言うよりも平時よりも忙しいし。

 思い起こせば、今の会社に入って早10年、GWとか盆暮れ正月とか貰えた試しが無いな。つーか、3日以上の連休と言うものをココ10年貰ってもいない(号泣)

 ・・・と言う事でChapter2です。

 地獄太夫と言う人は、一休禅師との絡みもあり江戸時代の読み本にも取り上げられ、広く知れ渡った人なので、当然の事ながら、画題としても面白い物だった様で色々な作品があります。今現在も、モチーフとして取り上げている人は居る様なので、興味の有る人は、検索して見るのも面白いかも知れませんね^^

 と言う事で、今回は絵に付いて主に書いて見ます。

 地獄太夫の描かれた絵には、地獄図だけでは無く、天女やお地蔵様も描かれている物もあります。一休の教えによって太夫は、地獄も極楽も一如であると悟ったそうです。恐らくその逸話を示しているのでしょう。
 1幅の中に地獄・極楽・美女も描けるのだから、さぞ面白いモチーフと言えるのでは無いでしょうか。

<<小林清親 地獄太夫>>は3幅対の物
小林清親.jpg
<画像をクリックすると大きく表示されます>


右幅では絞り手ぬぐいをかぶった骸骨が鉦(かね)の囃子に合わせて踊り、
小林清親 踊り(右).jpg
<画像をクリックすると大きく表示されます>


左幅では骸骨の客が喝采を送っている。片膝立てて後ろに手をつく女骸骨の姿態が
いかにもリアルに描かれていて面白い絵です。
小林清親 お膳(左).jpg
<画像をクリックすると大きく表示されます>

 一休の著作に『骸骨』と言う法語集がある。
 骸骨達が踊ったり抱き合ったり、亡骸を野辺に送ったりとユーモラスな挿絵を添えたもので
清親の骸骨図も、そんな所に源泉があったのかも知れません。

 ちなみに上の絵と、下の2枚、<小林永濯><久保田米僊>は明治20年前後制作と思われています。

<<地獄太夫 小林永濯>>
地獄太夫 小林永濯.jpg
<画像をクリックすると大きく表示されます>


<<地獄太夫之図 久保田米僊>>
地獄太夫之図 久保田米僊.bmp
<画像をクリックすると大きく表示されます>



 地獄太夫の評判を聞きつけ、一休が一夜遊びに来たと言うのが下の絵の画題。

<<地獄太夫 河鍋暁斎>>
地獄太夫 河鍋暁斎.bmp
<画像をクリックすると大きく表示されます>
 
骸骨が皮の張ってない三味線弾き、その伴奏に合わせ一休が片足立ちで踊ってます。

 
 私的な好みで言えば、小林清親と河鍋暁斎が好きですが、どれも味わい深くて、色々なドラマを想像させてくる絵と言うのは認めざるを得ません・・・と偉ぶって見る(笑)

 未明さんが、どの様に解釈して描いてくれるのか?物凄く熱く期待しちゃいます♪・・・とプレッシャーをかけて見るテスト(笑)

;・;・;・; 目次 ;・;・;・;

Chapter1.地獄太夫と一休のエピソード
<<ここをクリックするとChapter1に行きます>>

Chapter3. 地獄太夫番外編(追記・雑感など等)
<<ここをクリックするとChapter3に行きます>>
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2005年04月28日

Chapter1を発表

アジアンビューティーな写真が最近続いている中で、
地獄太夫に付いてもっと知りたいぞぉ〜ヽ(`Д´)ノコンニャロメ!
・・・と、さるお方にリクエストを頂いたので、___φ(.. ;)必死にカキカキ

地獄太夫と一休のエピソードは、色々と調べて見ると
微妙な違いは、あるようですが種類的にはさほど無いっつ〜か、
地獄太夫自体のエピソード事態が、Web上ではあまり無い(汗)
非常に困ったが、頑張って体裁はそれなりに整えて見る(大丈夫か?俺)

参考文献は、1993年6月号の芸術新潮及びネット検索です。
参照した芸術新潮の特集は、見ての通り『悪趣味のパワー』です。
表紙
<画像をクリックすると大きく表示されます>


表紙に描かれているのは、人間の横顔の様ですが
全て魚なんですねぇ〜。
ジュゼッペ・アルチンボルド作の≪水≫と言う作品。
ついでなんで、書きますがアルチンボルドと言う人は、
イタリアの画家で、動物や植物などを組み合わせて、
別のテーマを描く2重イメージのグロテスクな画法で注目を浴びた人です。
1562年神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世に招聘され、プラハの宮廷画家となり。
その作品は後のシュルレアリスムの画家たちに影響を与えたと言う人。

悪趣味のパワーって私の琴線に激しく触れるテーマなので、メチャ書きたいのですが
今回のテーマとは、関係ないので泣く泣く本筋に戻ります(笑)
ピーテル・ブリューゲルとか最高なんだけどな(ボソw)
今回の趣旨とは違うので、機会があればその内上げます。

まず、禅僧である一休が何故、遊女である地獄太夫と出会うのか?
一休の歴史を追うのが正解っぽいのですが、草稿して見ると
これがやたら長い(汗)
・・・ってなこって、大部分を端折り番外編の方で追記します。

禅僧であった一休が何故に地獄太夫の様な遊女と出会うのか?
簡単に言えば、自由奔放で、奇行が多かった人だったから・・・と言う事なのです。
例を挙げれば、
・印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。
・仏教の戒律で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、
 盲目の「森侍者」(しんじしゃ)という側女がいたり、
 「岐翁紹禎」という実子の弟子がいた。
・朱鞘の木刀を差したり、風変わりな格好をして街を歩きまわった。 等々。

しかしながら、仏教の伝統化・風化に鉄槌を下すかのような、
唐代の禅などに顕著な風狂の宗風から言えば、これらは奇行と呼べるものでは無く、
普化を代表とする禅者にしばしばみられた行為であったと言える。

このような彼の奔放な生活は、仏教の権威や形骸化などに対する批判と仏教的・禅宗的には
風狂の精神、一般的な解釈では風刺の精神によるものと言われていて、
戒律や形式にとらわれず、人間臭さに満ちた生き方は、江戸時代に彼をモデルとする
一休咄などの頓智咄(とんちばなし)を生み出すことになった訳です。

色々と調べて見ましたが、一休と地獄太夫の出会った年代は不明。
1436(永享8)年、一休さん(43歳)の時、大徳寺開山大燈国師の100回忌に参列した折、
偽坊主の読経に我慢が出来ず途中で抜け出し、
塔頭の1つに入り女の人と寝た(「事終えて後、夢閨の私語」)と自分で書いている事から
43歳以降なのでは無いかと思われます。
ちなみに、1470(文明2)年、一休さん(77歳)は、住吉坂の井の雲門庵に移り、
盲目の遊芸人森女(30歳頃)と同居するのですが、これが地獄太夫なのかは、不明。
森女が亡くなった年代が判れば、推測は出来そうですが、
森女が地獄太夫では無い様な違は気します。。。
どうなんでしょう??

地獄太夫は、
室町時代、泉州境の遊郭に居た遊女で、
元は名家(武家)の娘ながら、山賊にかどわかされて苦界に身を沈めた
(誘拐され、身代金代わりに売り飛ばされた)が、それも前世の不信心のゆえと、
懺悔の心を込めて自ら「地獄」と名乗り、地獄模様の着物を羽織って
仏の御名を唱えながら客を迎え送っていたそうです。
(また一説には、名家の生まれのためか、仏の道を信ずることも群をぬいて深いが、
今では手練手管で男を泣かせる遊女の身に成り、
その罪の深さをおののいてか、名も地獄と改めたとも言われてます)

名家の子女である地獄太夫、
歌のやりとりであれ問答であれ誰もが舌をまくほど堪能で、
しかも、その強烈なインパクトは人目を引かぬはずはなく、
その教養の深さもあいまって、たちまち引く手あまたのカリスマ遊女となった。
その噂を聞いたのが、自由奔放、ある意味キチ○イな一休禅師。
「ちかごろおもしろき女子。
 仏をだしにの“たばかり者”か、はたまたまことの信心か…。」
ここはひとつ会ってみるかと一休は、地獄太夫を訪れた。
するとこの太夫、一休を目の前にして、その応対たるやじつに堂々たるもので、
「聞きしよりみて美しき地獄かな」と一休が詠むと
地獄太夫は「生き来る人の落ちざらめやも」と返し、一歩もヒケをとらなかった。
一休と太夫、二人打ち解け語り合い、ついには、互いに認めるところとなり、
師弟関係を結んだとのこと。
(ちなにみこの師弟関係は、太夫若死にの枕頭まで続いたそうです。)
『出家して仏に仕える事が出来れば救いもあるものを』と嘆く太夫に
一休は、『5尺の身体を売って衆生の煩悩を案じる汝は邪禅賊僧に勝ると』
言って慰めたとも、
また、若死にした太夫を看取って一休は供養塚を建てたとも言いわれています。
良く知られた、
『門松は冥土の旅の一里塚 目出たくもあり目出たくもなし』の歌は、
一休が地獄太夫に贈った物との伝えもあるそうです。

ただ、“一休咄”と言うのは、後代の付会が多いらしいので
そのままを信じるのは出来ないかも知れません。

また、地獄太夫には次のエピソードもあるようです。
稀代の美女・地獄太夫が死んだ。
葬列を先導する怪僧・一休はその死体を町はずれの草原に置いた。
地獄太夫の遺言である。
彼女は世の男たちを憎み、自らの身体をもって地獄とすべく、
地獄太夫という名前をつけたのだが、所詮女の身体の、
骨を覆っている上辺の皮の美しさのみを目的としている男たちに、
その真実を見せるべく、死体の腐るさまを見せるべく一休にそう遺言したのだそうです。

Chapter2に続く。。

てか眠いぞ(笑)


;・;・; 目次 ;・;・;

Chapter2.地獄太夫の絵について
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Chapter3. 地獄太夫番外編(追記・雑感など等)
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